人工心肺を使用しない手術、off-pump(オフポンプ)バイパスについて解説します

4. 人工心肺を用いないバイパス手術

    歴史 / ミッドキャブからオフポンプへ / 現状 / 功罪

■歴史的背景

 世界では1990年代初頭頃より、日本でも1990年代の半ば頃より、「低侵襲心臓手術」という概念が心臓外科医の間に浸透し始めました。そのひとつとして、人工心肺を使用せず、心臓が動いたままで冠動脈バイパス手術(以下CABG)を行う「心拍動下バイパス手術=off pump CABG」(オフポンプと呼んでます)が登場しました。

 もともと「低侵襲」手術は、これより少し以前から既に他の外科領域において発展を遂げてきました。その代表的なものが、胆石症に対する「腹腔鏡下胆嚢摘出術」です。それまでは胆石の手術といえば、お腹を15〜20cmぐらい切り開いて行っていましたが、腹腔鏡下手術では2cm程度の穴を3ヶ所ほど開け、そこから細い筒を入れてビデオカメラを見ながら胆嚢を切除するのです。こうして、小さな傷で手術後の痛みも少なく回復も早い(退院も早い)という、一石三鳥ぐらいのメリットが得られるわけです。日本では1990年頃から始まり、当初は技術的な難しさが指摘され、逆に危険な手技であるなどとの批判もありましたが、現在ではさまざまな問題がほぼクリアされ、胆石症に対する標準術式としての地位を確立しています。

 さて話が少しそれましたが、このような「低侵襲ムーブメント」は外科系全般にわたって広まり、心臓外科もその例外ではなかったわけです。まずは手始めにCABGにその矛先が向けられました。もともとCABGは心臓の表面で行われる手術ため、心臓そのものにメスを入れる必要はなく、人工心肺が発達する以前は、外科医が動いた心臓のままで行っていた歴史はあります。しかし人工心肺法と心筋保護法が概ね安全な手技として発展を遂げてからは、心臓を止めて行うCABGがグローバル・スタンダードとして定着しました。

 ところが、そのような世界情勢の中で南米の心臓外科医が、主に社会経済的な理由から人工心肺を使わずにこつこつと心拍動下バイパス手術を続けていたのです。というのも、人工心肺を行うにあたっては、1人の患者に高価な消耗品が必要になり、どの国でも、患者か病院か国が負担しなければならないからです。さて、ある心臓外科医はこうして蓄積した多くの症例を、ある時専門誌に発表しました。その優れた成績に、欧米先進国の外科医たちは少なからず感心し、「いったいどうやって?」と多大な興味を示したのです。そのうち「いや、俺もそんなことは前からやっていた」「俺だって出来る」という声が各地からあがり、次第にoff-pump(オフポンプ) CABGが広まっていったわけです(始めへ)。




■MIDCAB(ミッドキャブ)からoff-pump CABG(オフポンプ、オプキャブ)へ

 当時、人工心肺法に関しては、概ね安全になったとはいえ、術後の脳障害や臓器不全などとの関連が指摘されており、これを使わないのは「低侵襲」として理にかなっていると考えられたのです。

 こうして、当初は社会経済的な動機で行われた術式が、次第に「低侵襲」を追求する姿勢に移行し、次にMIDCAB(ミッドキャブ)という術式が登場します。それは、胸骨を切らないで左の胸に5cm程度の切開を加え、そこから心臓の一部を視野におき、動いたままでバイパスを行うという手技です。この術式は高度な技術を要しますが、予定通り完遂できれば、患者さんに対する侵襲はきわめて軽度で済みます。

 しかしこの術式は、技術的な問題と、それに加えてバイパスできる血管が1本に限られる(2本以上も可能だが、さらに難しい)という点が足枷となり、あまり普及はしませんでした。結局、胸骨を縦に切るという従来のアプローチは変わらず、人工心肺は使用しないで、多枝バイパス、つまり何本もバイパスを行うという方法が定着しました。ただしミッドキャブはなくなったわけではなく、今でも名人がいて、職人芸的に行われています(始めへ)。

■オフポンプCABGの現状

 オフポンプCABGは、心臓の裏面の冠動脈につなげる場合や、冠動脈の性状や走行が悪い場合は難易度が高くなります。ただ、今ではさまざまなアイデア器具の開発と手技の工夫により、技術的な困難さはかなり解決されてきました。実際の映像を参考にして下さい。

 
 日本での普及率は諸外国に比べ高率で、ちなみに日本胸部外科学会の統計によると、1999年度では日本全国で行われた全CABG17735例中、オフポンプ CABGは2775例(15.6%)だったのが、2004年度には全CABG20753例中、オフポンプCABGは12018例(57.9%)と飛躍的に数を増やしています。現在(2007年)は全国平均6割強とされています(始めへ)。




■オフポンプCABGの功罪

 2004年頃になり、果たしてオフポンプCABGがそんなに良いのか、という話題が世界的に散見され始めました。そもそも前述したように、オフポンプの歴史的背景を振り返ると、オンポンプCABGに不具合があるから登場したわけではないことから、従来のCABGに充分満足している外科医も多いのです。理論的にはオフポンプで行えば、人工心肺にまつわる合併症の可能性がゼロになるわけで、良いに決まってます。しかし前述したように、つなげなければならない冠動脈の性状や走行によっては、心臓を止めて手術をした方が確実性が高くなる場合もあるのです。

 外国の論文の中には統計をとってみるとオンもオフも成績があまり変わらないという結論のものがあります。

 例えばニューヨーク州で1997年から2000年に行われたオンポンプ59044例オフポンプ9135例を比べた大規模な統計が出ています。大まかにいうと、術後脳卒中の合併症はオフの方が少し少なかった(1.6%対2.0%)、術後の出血による再手術もオフが少なかった(1.6%対2.2%)、胃腸の合併症はオフがわずかに多かった(1.2%対0.9%)、入院期間はオフが少し短かった(5日対6日)、術後3年の生存率はオンがわずかに高かった、1999年から2000年に絞ると両者の生存率は差がなかった、という結果でした。

 このニューヨークの論文は過去の症例をさかのぼって調査(後向き調査と言います)してますが、カナダやブラジルからの最近の論文では、手術方法をオンポンプかオフポンプに無作為に振り分けて成績を調べている(前向き調査と言います)ものがあり、それらの結果でもオンとオフで概ね差はなかったという結論です。

 その後は主にさまざまな「アイディア商品」や技術の向上により、オフポンプの欠点が克服されたことにより、術後の合併症が少なく、入院期間が短かったという結論の論文の数が増えています。

 個人的にはオフポンプCABGを、その完成度において従来のオンポンプCABGと遜色ない出来映えに仕上げることが可能な心臓外科医であれば、CABGのスタンダードな術式をオフポンプにしても問題ないと考えています
 現に日本ではそのような心臓外科医が少なくなく、オンポンプCABGをスタンダードとする米国の一部の施設や英国に比べ、ことCABGの技術に関しては日本が抜きん出ていると言えるかもしれません。


 さらに、理論的にも実験的にも人工心肺の手技が好ましくない患者群がいることが明らかになっています。具体的には、上行大動脈や頭頚部の動脈硬化性病変が強い人たちや、超高齢者、腎機能や肺機能が低下している人たちなどで、そういった患者さんにとって人工心肺は良くないことが証明されています。またそれらの患者群は今後増加することが予想され、オフポンプCABGが心臓外科の中で極めて重要な位置を占めているのは確かです。

 ところで、心臓の手術というのはCABGだけではありません。先天性心疾患、弁膜症の手術、大血管の手術などがあります。これらの多くの手術は、現在のところ人工心肺(体外循環)なくしては不可能で、それが消失してしまうことは当分はないと言って良いでしょう。